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ヘタレ

じつは、自分のことをとてもヘタレだと思っている。

でも、おそらく自分を知る人は、私がそんなに自分自身をヘタレと思っているとはまったく思わないだろう。

あまり自信がなくても、一呼吸置いて堂々と喋るということに、今ではすっかり慣れてしまったし、口に出して「私ってヘタレだから…」とは、絶対に言わない。

いや、本当は言えないのだ。

口に出した言葉はまるで呪文のように、曖昧だったことを固定化してしまうような気がして怖くて言えない。

だから、口に出して、自分の弱みを言える人って強いなーと感心している。

私はものすごく臆病でヘタレの中のヘタレなのだ。

こんな風に文章にするのだって、少し前の自分だったら、怖くてできなかった。

だけど、いつかはヘタレから卒業したい。

そのためには、自分の弱さと向き合わなければいけないのだ。

メモ書きを整理するうちに、文章として過去の自分を固定化させておくことは、未来の自分にとって有用だと言うことをリアルに感じるようになった。

文章だけじゃない。

書道や絵画なんかだって、なかなか上達しないと落ち込んだ時に、始めてまもない頃の作品を見返すと、思いのほか上達が感じられて嬉しいものだ。

これが過去の自分と比較すると言うことなのだな…と悦に浸ったりする。

同じ固定化させるのでも、アルバムに載せた写真はちょっと様相が違う気がする。

アルバムには、数多い写真の中からお気に入りの一枚を選ぶのが一般的だ。

たまに古いアルバムを見返すことで、あー、昔の自分はこんなだったのか…と記憶が固定化されるが、アルバムに貼らずに、取っておいた他の写真の中から、思いのほか良い写真が見つかることも多々ある。

アルバム用として写真を選んだ時には、いまいちと思って外した写真が、未来の自分の視点からは、なかなか素敵に見えたり、「アルバムを通して出来上がってしまった自分」とはまったく違う自分を発見したりと、なかなか面白いものだ。

だから私は、アルバムに貼らなかった写真も捨てられない。

認知症やご老人が、昔の写真を見ると脳が活性化されるって言うのは、今の自分を創った自分とは別の自分の出会うことで、別の自分のイメージを膨らませられるのかもしれない。

だから、ヘタレな私から卒業するには、ヘタレだった過去の自分を文章で確認して、あらたな写真を使って脳内イメージを書き換える作業が有用なのかも。

定期的にこういう作業をして、自分を成長させたいものです。

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