私は、何事もさっさと答えを出して次に進む方だ。
ずっとそう思っていたのだが、最近疑問を感じている。
私が子どもの頃は、身の回りにある情報量が今よりもとても少なくて、情報は自ら取りに行くものだった。
そして、少ない情報の中で決断しなければならないし、決断のタイミングを逃すと二度とチャンスは巡ってこない…ということが当たり前だった。
すっかりその時代に適応していたのだから、目の前にきた情報を精査しなくとも自分に合いそうだとと思えば、GOサインを出してきたワケだ。
でも、今は情報がありふれていて、しかも玉石混合だ。一見有益に見えてハズレの情報も多いし、その逆もある。
十分に検討してもハズレることもあれば、意外にアタリだったということもあって、迷うこともしばしばだ。
ある人はメディアリテラシーを身につける必要があると言い、またある人は直観を鍛えるのが一番と言う。
そして、ある人は自分の頭で考える力が必要だと言う。
どれも確かに必要に違いないと思う。
でも、エビデンス信者もいれば、スピリチュアル信者もいて、とどのつまり、自分にとって有益な情報を取捨選択し決断する工程に必要なのは、信仰心を養うことなのだと思うようになった。
結局、正解は自分の中にしかないのだから、それは思い込みと言うに等しい。
また、別の視点で言えば、歳を取るにつれて、自分自身の内に知識や経験値といった情報量のストックが増えることで、多くの情報の中から、最も自分に適した物事を決断することは労力がいるのだ。
ただでさえ歳を取って、自分が古くなっているのに、労力もかかるなんて、そりゃ決断力が落ちても仕方ない。
人生決断の連続なワケだけど、あんまり一喜一憂しないようにしたい。
残念ながら、幾度もの決断の工程を経ても、それにはなかなか慣れなくて、毎度のことながら「ゆらぎ」を感じてしまうのだ。