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はじめに

このブログを書くきっかけは、自分自身のコミュ力の低さに嫌気が差したからです。

いつも頭でいろんなことを考えてしまうのは、おそらく自分のちょっとした思考のクセなのでしょう。

幼少期は、ふと気がつくと様々な事象に想いを馳せて、いつも一人で過ごしていました。

学生時代も、人嫌いではなかったし、いじめにあって孤立する子でもなかったけれど、気がつくと一人で過ごすことを選んでいました。

たしかに少し人見知りではあったと思う。

でも、初対面の人に対して特段に無口になってしまうという訳でもなく、むしろ「意外とおしゃべりだね。」と言われるのも、オトナになった今でもあまり変わりません。

こうやって言葉を綴ることは、昔から好きでしたが、魅力的な表現や高尚な文章を書けるわけではなく、思いついたことや考えたことをとにかくメモするにとどまっていました。

そして気がつくと膨大のメモ書きが、本棚やPC、スマホやストレージ…と、そこかしこに氾濫していました。

まるでカオスになったメモ書きの山から、おみくじを引くように一つづつメモを取り出し読み返すと、そこには漠然とした一つの世界観が広がっていました。

思いつきで書いたメモの集積にも、自分自身のDNAが宿っているのだと思いました。

いつも言っていることが違うとか、気まぐれだなどと人から指摘されると、自分は感情的で支離滅裂な人間なのではないかと、自分自身の価値を否定したり、憐れんだりすることもありましたが、そんなことはないと、メモの山が教えてくれたような気がしました。

しかし残念なことに、そういうポジティブな感情もすぐに忘れ、またいつもの自分に戻って堂々巡りを繰り返す。

この悪循環をどうしたら断ち切れるのか?

メモをすぐに取り出すことができて、たまに見返すことができるようになれば、きっと少しはマシな気分になれそうだと考え、このサイトにメモ書きを残すことに決めました。

そして、書きながら想像していることは、エスプレッシブ・ライティング的な機能だけでなく、万物が変化、発展するサイクルも、書き出したメモを眺めるだけで体現できるということです。

似たような考えで、記事やブログを執筆している人は多いですが、そのような他人の書いたものを見て「なるほどー」と感心していても、自分自身の世界観や人生が向上するわけではありません。

体現するというのは、自分自身が実践するということであり、必ず、感情・思考・行動がリンクしていなければ成長は望めません。

だからこのブログで書いていることはすべて、「自分の自分による自分のための言葉」です。

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